守られていると後から気づく1 〜単車に乗ってた頃〜
晩御飯の後のお楽しみ、お菓子をつまみながら、
Youtubeで動物コンテンツを1時間だけ観て癒されるのが日課。
そろそろ、パソコン電源オフしようとしていたら
単車に乗っていた頃のことを思い出しました。
20代前半の頃です。
ホンダのCBR250Rのブラックに乗ってました。
※上の画像は乗っていたバイクではありません。
兄はトリコロールカラーだったので、お揃いはちょっとね😑
ということでブラックを選びました。
タイトル「守られてると後から気づく」について。
京都かどこの峠か忘れましたが、練習を兼ねて独りで走行してました。
峠ですから、カーブが多い。
それも練習。
ちょっとずつ慣れてきたかなと思っていた矢先、
次のカーブで大きくはみ出してしまいました。
対向車線には、乗用車が1台!
もう 終わりや!
と思いました。
不思議なんですけど、ああいう時ってスローモーションなんですね。
一瞬のことなのに、スローなんです。
対向車が来ていて、運転してる人の驚いた顔を見たまま
運転技術 超未熟の私は、"終わり"を覚悟したんです。
っていうか、状況的に覚悟以外なかった。
そしたらですよ
なんと、
なんていえば良いのかな
グイっとハンドルを切る力が働いたんです
(え? 何? 今の力)
私じゃない・・・
あんなうまいハンドル捌き、出来ないんで。
その、私ではない、ハンドル捌きの力が動いたおかげで
35年後の今も、生かされています。
若い頃には思い出さなかったこと、
深く物事を考える暇ない程、
何もかも、せわしく、スピーディーに動いていた
若い頃。
人生経験を積んで、
日常の有り難みが増してきた頃、
ふとした時に助けてもらったことを思い出します。
「あの時のあの力は、一体なんだったんだろう」
私の力でないのは、確か。
あんなに運転は上手くない。
・・・そういえば・・・
他のこともぽろぽろと
思い出しました。
見えないとされている"人達"から、
守られているんだと後から気づきます。
覚えているだけでも、あと2〜3つあります。
またの機会に書かせていただきます。
どれもが、命にかかわることだっただけに
私ってラッキー!
ついてる!
セーフ!
といった類の軽さには扱えない。
こうしたことを思い出した時に、
感謝の気持ちが溢れてきます。
そして、有り難さで全身を包まれます。
まさに、危機一髪の時。
これは特別なことだと思います。
けど、私なんかが特別ではないのです。
誰にでも起こること。
私達は守られているのですね。
恩返しのしようがありませんが、
日常で人らしく、心を大事にしたいと思います。
読んでくださって
ありがとうございます。
アガサ